今回のコロナ禍で、良かった事が一つ、二つあるとすれば、世界の経済活動が同時に止まった事で、各地で毎日大量に排出されていた二酸化炭素や、化学物質の大気への公害が激減し、地球が一息つけた事ではないかと思う。
https://www.weforum.org/agenda/2020/04/here-s-what-covid-19-can-teach-us-about-environmental-action/
中でも大気汚染が特に深刻なニューデリーや中国では目を見張るくらい劇的に改善され、そしてニューヨーク、ロサンゼルス、ソウル、ロンドン、マドリード、ローマなどの世界各国の大都市でもPM2.5の数値が激減した。
おまけにロックダウンで出歩く事もないから、アメリカや世界では犯罪率も同時に低下して、片一方の生命危機リスクが低下している。
生活の利便性や、経済的な豊かさとのトレードオフだが、これを機にほんとに人類や社会の成り立ちに必要なものを除いて、一年に一月だけ、世界で同時に経済活動を止めてみてはどうだろう。
家庭や友人、恋人との時間をたっぷり持つ事で仕事や、飲み会一辺倒の人生にメリハリをつけ、その間に自国や世界中の文化に触れる事が出来る旅行や、趣味、新たな知識の習得など自己開発を通じてQoLを上げる事が出来る。
ゆっくり人生を振り返ってみたり、殺人的な忙しさの日々に追われて鬱になっていたり、自死などを考えている人がいれば、ゆっくりと一息入れて自分を落ち着ける時間にしてみるのも良いだろう。
この成果は、人間にだけ訪れるものでは無い。
ベネチアの水路ではクラゲが泳ぎ、オーストラリアでは動物達が街へ繰り出し、サンフランシスコではコヨーテがゴールデンブリッジでお散歩する。
産業革命以降、急激に環境が悪化した地球への癒しにも繋がり、もちろんその恩恵はこの世界に一緒にいる動物達へも訪れる。
自宅待機が6週間目に突入し、カロリーの調節と臓器への負担軽減を目的に、昨日初めて1日断食をした。(調子が良いので今日も続ける予定だ。)
最初はいつもの様にぐーぐーと元気にお腹が鳴っていたが、それもルーティンの一環だと気づいたのか、強い意志で今日はお前に仕事させないよ、と思う事で胃袋と腸もそれを悟ったのか、徐々に作業を休む様に大人しくなった。
一度休んでみても良いよって分かったら、同時に脳へも危険信号を送るのを辞めたみたいで、そのうちお腹が空いたという感覚さえ無くなり、夜寝る前には体がふわふわポカポカとして来て、あぁ溜まったカロリーを溶かして燃焼して生を維持しようとしてるんだなと気がつき、体脂肪の減少で健康になって、新たな認知も合わせて、一石二鳥の効果を得た。
このきっかけで茫然と眠りに着く前に考えたのだけど、経済にも同じ事が言えると思う。
地球の一年に例えて、人間が12日間のうちに1日くらいご飯食べ無くったって、会社に行かなくったって、はたまたはパン焼いたり、車乗らなかったり、工場を稼働しなくったって、実はいきなり死んだりしない。
ただその一日分持てるものが少なくなったり、これまで車乗って5分で行けたのが自転車で30分かかったり、徒歩で1時間かかったりするくらいで、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ不便が増えるだけだ。
でもそれだってじきに慣れるし、なにより自転車に乗って移動する事で運動にもなるし、歩いたり、ジョギングしたりしていれば新鮮な空気を胸いっぱいに吸って健康にもなる。
おまけに誰かと一緒にいれば、新しい草花や動物、はたまたは知らなかったお店の発見を分かち合ったりなど、お互いに何か新しい気づきが得られるきっかけになるかもしれない。
そして、お店が一月閉店してて、手に入らないものがあれば隣のお家に醤油切れちゃったから貸して?とかなって、世知辛い世の中で疎遠になってしまった人間関係や、近所付き合いが復活して、世の中が平和になるかもしれない。
多分、少々の経済的不合理を甘受して、思い切って休む事で得られる心の余裕を持った方が、人間としてはいろんな意味で良い方に良い方に作用すると思う。
私が今住んでいる場所は、たくさんの酸素を生み出す山と、淀んだ空気を換気してくれる広い海に囲まれていて、豊富な自然のおかげで比較的綺麗な環境で生活しているために感じ難かったが、所用でダウンタウンなどにいる時のスモッグや、灰色に淀んでいた大気がこの数週間でクリアになって、かの地にも抜ける様な青い空が顔を出したと言うのを見て聞いて、なんとも言えない嬉しさがある。
これがひとつ屋根の下、世界に広がっているなら尚更だ。
コロナの拡散はとても困ったものだし、世界にとっての脅威である事に変わりはないのだけど、人類は間違ったことを振り返って訂正し、起こったことを知恵を集めて対処すると言う特技を持っている。
今回の禍も、新たな知見や振り返り、認識の機会が人類にもたらされたと思えば悪いことばかりではない。
長い一生の内のほんの数週間、この不便を前向きに捉えて、これまで発展の陰で大きなダメージを受けてきた地球にも、生き急いできた人間にも、少しの間、癒しにつながる時間に変えることが出来ればと思う今日この頃である。