Life in Los Angeles.

ロサンゼルスに住む永住権者の冒険と、アメリカの日常を書きたい気分で徒然なるままにお届けします。

アメリカの人種差別デモについて

コロナによる社会的な混乱と、世界初の民間製作による有人ロケット打ち上げ成功の興奮も覚めやらぬ中、25日ミネソタ州で起きた白人警官による首の締め付けで黒人が死亡した事件が元となり、全米各地でこれに抗議するデモが広がっています。

 

一口にアメリカと言っても広いので、私の住んでいる場所を含め全域が危険であるわけではないのですが、徐々に状況が激化してきたカリフォルニアでも、昨日ニューサム州知事によって緊急事態宣言が発令されました。

 

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現在ロサンゼルスのダウンタウンでは重武装の州兵によるパトロールが実施され、夜間早朝の外出が禁止されています。

 

www.cbsnews.com

 

冒頭で記述した通り、今回の騒動もやはり92年のロス暴動と同じく黒人への差別的な対応が原因で、そしてまた同じ様に抗議やデモが日を跨ぐごとに過熱しています。

 

今回の事件はあれから30年近くが経った今でも、アメリカ社会の本質が変わっていないと言うことの反証でもあって、この問題の解決が決して容易では無いことを如実に表しています。

 

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私自身被差別の経験があり、そしてアメリカでの黒人の歴史に対する理解も常識程度にあると言う自負がありますが、今回は少々思う所がありましたので、私なりに考察をしてみたいと思います。

 

元来こういった事件は起こる必要など全く無かったのに、過剰な鎮圧のせいで尊い命が奪われ理不尽さを喚起された、主にアフリカ系住民の深い悲しみを理解し、やりきれない思いに賛同しています。

 

実際今回の件に対して、アメリカ全土で人種を超えた抗議行動が広がっていますし、私もその輪を構成する多くの住民の中の一人です。

 

本当に世界中から差別(区別とか言う知能が低い人間を含めて)はなくなるべきだと思っていますので、今回のデモの趣旨を積極的に支持しています。

 

片一方で違和感を拭きれないのは、デモをするのにどうして掠奪と放火がセットにならなくてはいけないのでしょうか?ということです。

 

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www.nbclosangeles.com

 

もし何かの間違いがあるならば、その団体か、該当する個人に正当な非難や批判をすれば良いのですし、

 

元来デモで真に主張されるべき

 

「(主に)白人による人種差別への抗議」

 

「警察と言う公権力による人命軽視」

 

と言う大事で尊いメッセージが全く意味をなさなくなるどころか、無雑作に暴れ回る事で「黒人はやはり凶暴で何をするか分からないから、より一層厳しく取り締まるべきだ」、という “間違ったメッセージ” を彼らと対峙する人々へ送ることになると思うのです。

 

92年のロス暴動の時もそうでしたが、原因とは全く関係のない人達が営む生活を暴徒から理不尽に破壊されてもいいと言う謂れは全くないし、また当然の事ながら、彼らに掠奪を合理化させる理由も正当性も、さらには法的根拠も全くありません。

 

混乱に乗じてThe Cheesecake factoryに乱入してチーズケーキを盗み出すことや、この騒動で一次閉鎖が決まった大手スーパーのTargetや、高級モールのThe Groveに乗り込んで店に火をつけ、商品を掠奪する事が、亡くなったジョージ・フロイド氏の追悼と、どの様な関係があるのか、私には理解が不能です。

 

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彼らの行為は最早「デモとは全く関係のない強盗」であり、これらの掠奪や放火には、どんな大義名分があったとしても共感を得ることは出来ません。

 

騒ぎに便乗してデモの正当性を歪める事で自分達の首を絞め、なおかつ真に改善されなくてはならない問題点を自分達自身の手で見えなくしてしまっていると考えています。

 

理不尽さの改善や要望を、デモを通じて声を上げる権利は全ての住人に等しくあるし、今件もソリューション無く不必要に鎮静化を早める必要は無いと思いますが、行政や社会に常識を問うのであれば、まず自ら持ってその聖域を汚す事のない事が、相手に説得力を持ってメッセージを共感させる大前提であると思うのです。

 

私も人並に血の気が多い方だと思うので、同じような状況が起こった時には、(手を出すと言うことでは無い)小競り合いなどの「可能性」が多少なりともあるかもしれません。

 

しかし、これらは放火や掠奪などの理不尽な暴力や犯罪とは次元が全く違うものです。

 

人種のるつぼであるアメリカでは、この様な事件事故が絶えませんが、事が起こった時にはとにかく執拗に論理的に、理不尽を詰めていく方法が一番の解決策であると思っています。

 

なぜなら原因を作った人間や団体が明らかに悪いのですから、そしてそれが違法行為であったのであれば尚更、該当者が必ず罰を受けるくらいの正義と法律が社会にあると思っているからです。

 

上記の理由から、デモに参加する人達は放火や掠奪の様な本質と外れた事は今後一切せずに、「差別と向き合う」と言うメッセージを正しく伝える事に専念して社会を変えていく運動に繋げていけば良いのではないかと考えています。

 

これを機に今回こそは、長い間解決の目を見なかった差別に対する認識と不合理を正しく理解して、全員に対する不利益が解決される道筋とガイドラインが醸成される事を願って止みません。

 

コロナも差別も社会から早くなくなるように、私もできる範囲で解決の一助になれればと思っています。

 

無事に解決されます様に。